涙がでました。
3月14日。JRのダイヤ改正で東京=九州方面を走る、ブルートレイン事寝台特急が姿を消します。約半世紀に渡り走り続けたブルートレインともお別れです。
全盛期には、さくら。あさかぜ、は1日2往復。出雲。富士。はやぶさ(あと2つ位あったけど忘れました。)など日本の高度成長と共に走り続けてきました。
食堂車を連結された頃もあり、動くホテル!と言われてました。
最後の1列車は、大分までの富士。熊本までのはやぶさ。が連結されていて九州の門司駅で切り離された後、各終着駅まで向かうのです。
この東京駅の行先案内番も今日で最後の表示です。
新幹線はすべての車両にモーターが付いている為、高速走行が可能な列車ですが、このブルートレインは、客車にはモーターが付いてなく、機関車と呼ばれる機車が引っ張ります。その為寝台部分の客車は静かでとてもよく寝れます。
暗くてよく見えないですね。http://www.uraken.net/rail/kokutetsu/bfujih.html ←クリックしてね。
この機関車を運転する人を、機関士と呼び、でんがな。が高校生時代は、新幹線の運転手より人気がありました。ブレーキが機関車にかかるブレーキと客車にかかるブレーキが分かれていて、寝てる人を起こさないで列車を止める技術はとても難しいそうです。新幹線と違ってオートマチック!ではないので雨のにも風の日も、列車を時刻通りに運転させる技術は、あたり前かもしれないけどプロの仕事です。
でんがな。ブログ。2月17日の今!この時!にカキコしたけど、この機関士になるのも、でんがな。が高校生の頃は、運転Aの試験でした。
新幹線!新幹線!と言ってますが、もし、でんがな。が高校時代、国鉄の試験運転Aを受けて合格したなら、とてもとても狭き門のこの機関士を第一希望にしていたと思います。
でも今日思いました。ここにいる子供達は、もうこのブルートレインの機関士に、なれないのだなー。可愛そう。。憧れの職業につけないんだなー。と。
そう考えると、でんがな。の中学高校時代は、夢があって、目的があって、とても張り合いがあった。と思います。こんな事思ったの初めて。。今日東京駅に行ってよかった。思います。
18:03分。出発する富士”はやぶさ”の最後の汽笛と共に、涙が出てきました。今日!運転する機関士達と同じ境遇にあった事を誇りに思います。(いい話やー。カットや。)
無事!明日!下りは大分と熊本に、上りは東京に着いてくださいね。
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